エピローグ 志摩子 〜しあわせの誓い〜




ピストルの音が鳴った。

参加者達はいっせいにそこから駆け出していった。

黒・青・緑・・・・・・それぞれの目指すカードの方へ向けて。

中には、自由解放となっている薔薇の館を遠巻きに見つめている生徒もいた。

その生徒たちを江利子が笑顔で館へ迎え入れていた。

だが、志摩子はその中のどれにも属していなかった。

ピストルが鳴るまでずっと考えていたのだ。

恭也がカードを隠しそうな場所というものを・・・・・・。



だが、志摩子には恭也がどこに隠したのかまるで見当がつかない。

順番に候補地らしき場所を思い浮かべてみた。

教室・・・・・・不特定多数が出入りするのに、そんな場所に隠すとは思えない。

他の教室・・・・・・これも同じ理由で隠すのに適さないだろう。

図書室・・・・・・盆栽の本はあるのだろうか・・・・・・?

志摩子は、とりあえず図書室へ向かっていった。



図書室に着くと、中は人でごった返していた。

剣を扱う本が並ぶ場所と・・・・・・やはり盆栽というか、松などの図鑑のところに集中していた。

これでは仮にあったところで手遅れであろう。

だが、どうやらあれだけの人数で探しても無いのだから、ここではないのだろう。



恭也は普段、薔薇の館へ出入りしていた。

今回、本部になっていてお茶会を楽しめるよう、隠し場所からは外されていた。

そうなると、恭也から連想される隠し場所は既にアウトである。

志摩子は、必死に恭也との思い出を反芻していた。

・・・・・・駄目だ、思い浮かばない。

志摩子はため息をつきたくなるが、今はそんな場合ではない。

だが、どこを探したらいいのか・・・・・・自分がどうしたらいいのか分からなくなってきた。

でも、歩かないと・・・・・・という思いが、志摩子の足を進めたのだった。



空はどんよりと曇っていて、今にも雨が降りそうだった。





志摩子は、イチョウ並木にたった一本だけ生えている桜の木の前にいた。

−結局ここに来てしまった−

ここは、自分が困ったとき・・・・・・悩んだときに来る一つの避難先・・・・・・

恭也が来てからはここに来ることも無くなっていたのだが、なぜかここに足が向いた。

志摩子は、静かに桜の幹に触れた。



高等部へ進級したとき、この桜に誘われた。

あのときも、何とは無しに外を歩いていた。

教室で無邪気に笑いあうクラスメートの中がとても居心地が悪かった。

隣の席にいた生徒が笑顔で自分に話し掛けて来ることにとても罪悪感を持っていた。

私はそんな微笑みかけられるような存在なんかではない

無垢な天使たちが、無意識に私を断罪している気がして思わず教室を飛び出していたのだ。

イチョウの並木道を歩いていると、強い風が吹いた。

風が止んで前を向いたとき、そこには綺麗に咲き誇る一本の桜と

なんとも言えないような目で私を見ていたお姉さまが立っていた。

この桜が私たちを惹き合わせてくれたのだと思う。

桜には、それにまつわる色々な伝説が存在する。

恋の伝説から、それこそ怪談の類まで。

いずれも共通することは、その桜には必ず強い想いがこめられていることだろう。

桜には、人の想いを感じ取る力があるのかも知れない。



志摩子は、恭也の盆栽の桜を思い出していた。

もし、桜に本当にそのような力があるのだとすれば・・・・・・

恭也の桜は必ず綺麗に咲くことが出来るだろう。

出来るなら、その桜が咲くところを恭也の隣で見たい。

だけど、自分にはその想いが足りなかったのかもしれない。

ぽつっ・・・・・・ぽつっ・・・・・・

薄黒い雲に覆われた空から、ついに雨が降り出した。

だんだん雨脚は強くなり、枝だけの桜は雨を素通ししてしまう。

志摩子は雨にただ打たれていた。

雨で冷たくなっていく体を雨がぬらし、凍っていきそうな心を涙がぬらした。



今までの志摩子だったら、このまま雨に溶けるように諦めてしまっていただろう。

だが今の志摩子は打ちひしがれるだけの存在ではなかった。

自分を変えてくれた聖・・・・・・友人の祐巳に由乃・・・・・・蓉子、祥子、江利子、令・・・・・・

背中を押してくれた静・・・・・・そして、恭也。

志摩子は、雨と涙が混じった顔の水滴を袖でぬぐうと、顔を上げて桜を見上げた。



うつむいていたら、きっと気がつくことはなかっただろう。

せっかく涙をぬぐったのに、また雨にぬれた顔に涙が混じった。

でも、今度はその涙をぬぐうことはしなかった。

さっきのような、冷たい涙ではない。

この涙は、志摩子の心の中から湧き出る暖かい涙だった。

そっと空に手を伸ばした。

そして、背伸びをしてギリギリ手に届く位置にあった黒いカードを手にとった。

志摩子は、そのカードを抱きしめるように抱えてイベント会場へ歩いていった。



突然降り出した大雨に、会場も避難を余儀なくされていた。

三奈子や真美、そして赤星や藤代がいったん館の中に避難していた。

だが、恭也は雨に打たれて壇上に座りつづけていた。

みんなが恭也に中へ入るように促すのだが、恭也はそこを動かない。

雨でずぶぬれになることもいとわず、その場所を離れずに待ちつづけていた。



中庭から、一人の生徒が歩いてきた。

雨はさらに激しさを増し、歩いてくる生徒が誰だかわからない。

恭也は、その姿を見て壇上から駆け出していた。

「あ、おい、高町!」

館の入り口から赤星が声をあげる。

恭也が壇上から飛び降りて、着地したときに膝からがくっと体勢を崩したからだ。

それを恭也は手で制すると、その人影の方に向かって歩き始めた。

人影の生徒も、その恭也の姿を見て駆け足になった。

その距離が縮まり、互いの顔が見える距離になった。

だが、顔が見える前からお互い誰であったかは分かっていた。

二人とも雨でずぶぬれになった酷い格好になっているけれど、顔は晴々としていた。

「恭也さん・・・・・・あそこは私とお姉さまのお気に入りの場所だったんですよ?」

「そうか・・・・・・それは知らなかったな」

「知らないであそこに隠したのですか?」

志摩子はくすくすと笑った。

「ああ。前からあの桜が気になっていてな・・・・・・。多分桜に呼ばれたんだと思う」

「私も・・・・・・桜に呼ばれました」

「そうみたいだな・・・・・」

「もし私が気がつかなかったら・・・・・・どうするつもりだったのですか?」

「・・・・・・」

恭也は一瞬呆けた顔をして、それからバツが悪そうに頬をかいて・・・・・・

「さ、とりあえず館へ行くか」

「・・・・・・恭也さん、何も考えてなかったのですか?」

志摩子はため息をつき、足を一歩進めようとしたのだが

(え・・・・・・?)

突然視界がぐらっと傾いた。

長時間雨に打たれた志摩子の体は、かなり衰弱していた。

そして、目的を果たせたことで、ほっとした分力が抜けてしまったのだ。

雨の音が遠くなっていき、誰かが叫んでいるような気がしたが、そこで志摩子の意識は途切れた。



志摩子は、夢を見ていた。

イチョウ並木の桜が咲いていて、そこで自分と見知らぬ少女が会話をしていた。

少女の顔はわからなかったが、自分が笑顔であることはわかった。

場面が転換して、自分がその少女と一緒に館で会話していた。

祐巳や由乃・・・・・・それと彼女達の妹がいて、とても楽しそうだった。

その中の自分も、心から笑っていた。

また世界が切り替わり、自分の前に小さな木があった。

まだ小さくて、桜の木と呼ぶには可愛すぎるけれど・・・・・・

自分はそれを縁側に座って見ていた。

そして、隣にいる人が自分に向かって話し掛けていた。

自分はその人の方を向いて・・・・・・



誰かのぬくもりがする。

志摩子は自分の頭に感じた感触によって、夢の世界から引き戻された。

少し重いまぶたを開くと・・・・・・隣で誰かが自分の髪を撫でていた。

それが恭也だと認識すると、安心してもう一度目を閉じて・・・・・・



そして次の瞬間、その意味することに驚いて飛び起きた。

「うおっ、どうした志摩子・・・・・・大丈夫か?」

恭也が突然跳ね起きた志摩子に驚いて恭也は志摩子の顔をのぞき込むが・・・・・・

「あー、恭也・・・・・・駄目だってば。また志摩子が寝込んじゃうから」

台所から聖がカラカラ笑いながら出てきた。

恭也が離れたことで志摩子は落ち着きを取り戻し、現状を把握する。

少なくとも、自分の知っているところではないことだけは分かった。

「えっと・・・・・・私・・・・・・」

「ああ、志摩子。外で倒れたことまでは覚えてる?」

聖の言葉に、志摩子は頷いた。



聖の話によると、志摩子が突然倒れそうになり、恭也が慌てて支えたとのことだった。

雨にぬれていて、このままでは風邪を引いてしまう恐れもあったので、

聖が館で服を着替えさせたのだ。

それから志摩子の家に連絡を取ったのだが、誰も応答が無かったので仕方なく恭也の家に連れて行った。

「そうだったのですか・・・・・・」

「それじゃ志摩子も起きたことだし、私はもう帰るね。志摩子は恭也の家に泊まっていくといいんじゃない?」

「あの・・・・・・お姉さまは帰ってしまわれるのですか?」

「そりゃ帰るよ〜。二人の時間の邪魔をしたくないしね〜」

「お姉さま!」

「それに、恭也がね・・・・・・『志摩子と二人きりでは理性が持たない』って言って私を連れてきたのよね」

その言葉に恭也の方を見ると、恭也は真っ赤になってそっぽを向いていた。

「いやー、若いっていいわね〜。私も明日あたり・・・・・・」

「祥子さんが怒るぞ?」

「やだなあ恭也、祐巳ちゃんじゃなくて蓉子の方を・・・・・・」

「・・・・・・どちらにしても祥子さまは怒るでしょうね」

もっともな志摩子の意見に聖は、気にしない、と言って

「それじゃ私は帰るから・・・・・・恭也、志摩子をよろしくね」

と、最後は恭也には志摩子の姉としての顔を見せて・・・・・・そして、志摩子には女性としての顔を見せて出て行った。

志摩子は聖の目に涙が見えたのを見逃さなかった。



部屋に残された二人に、少し気まずい空気が走る。

聖が、二人きりだと以下略という余計なことを言った為に、恭也は動きが取れない。

志摩子を果てしなく警戒させてしまっていると思ったからだ。

「あ・・・・・・その、なんだ・・・・・・志摩子。なんというか・・・・・・」

恭也があまりにうろたえているので、志摩子はなんだかおかしくなった。

「ふふ・・・・・・恭也さん、大丈夫ですよ。私は恭也さんを信用してますから」

そうにっこり微笑む志摩子の顔を見て、恭也は顔を赤くした。




聖は恭也の部屋を出ると、上を向いた。

目にたまって溢れ出しそうな涙が零れ落ちないように。

そんな聖に、一つの影が近づいて・・・・・・

「待ってたわよ・・・・・・聖」

「ようこ・・・・・・?」

「それじゃ、行きましょう」

「え、ちょっと蓉子・・・・・・どこへ行くのよ」

「ふふ、すぐそこよ」

蓉子は聖の手を引いて上の階へ昇ると、一つの部屋の前でドアを開けた。

「お、聖。お疲れ様・・・・・・・。いっぱいどう?」

藤代は、聖に当然のように缶チューハイを勧めた。

「由紀ちゃん・・・・・・これ、お酒じゃないの?」

「とーぜんじゃない。こんなときに飲まないでいつ飲むのよ」

笑ってそう言う藤代の隣には、赤星を挟んで由乃と江利子が何事か言い合っている。

おそらく、赤星の所有権をめぐって争っているのだろうか。

「ほら、令も固いこと言ってないで飲みなさい」

「さ、祥子・・・・・・あんたお酒とか真っ先に反対すると思ったんだけど・・・・・・」

「あら、そう?逆に社交界とか出ると、この年齢でもお酒ってあたりまえになるわよ」

「おねえしゃま〜」

「あらあら、祐巳ったらすっかり酔っちゃって・・・・・・仕方ないわね」

祥子や祐巳も・・・・・・みんないた。

「ほら、聖。まだまだあるから今日は飲み明かすわよ?」

「蓉子、いいの?私と飲むと今日は寝かさないわよ?」

「ふふ、そう言う人に限って真っ先に寝るのよね」

そう言う蓉子の肩を抱いて、聖はみんなに向かって

「よーし、それじゃ今日は飲み明かすぞ〜」

そう宣言した聖の顔を見て、蓉子はうれしそうに微笑んだ。





志摩子は、恭也にタオルを借りるとシャワーを浴びた。

聖が着替えさせてくれたのか、服は藤代の服を着ていた。

志摩子は助かった、と思った。

仮に恭也の服を自分が着ていたら、間違いなくパニックになっていただろう。

そう考えると、また少し気分が高揚してきた。

(落ち着かないと・・・・・・)

胸が高鳴るのを必死に抑えつつ、志摩子はタオルで身体を拭いた。

服を着て部屋へ戻ると、恭也が壁にもたれていた。

疲れているのだろうか。志摩子は恭也の顔をのぞきこんだ。

恭也の息が荒くなっていて、少し苦しそうだった。

顔は・・・・・・かなり青くなっていて、身体は冷え切っていた。

考えてみたら、恭也も自分と同じくずぶぬれになっていた。

そしてその自分を背負ってここまで運んできたのだから、体力を相当使っていたはず。

それに・・・・・・ただでさえ恭也は、自分を護ったせいでボロボロなのに・・・・・・

思わず涙が出そうになるが、今は泣いている場合ではない。

(駄目・・・・・・全然持ち上がらない・・・・・・)

恭也の身体は、志摩子の細腕で持ち上がるほど軽くは無い。

だけど恭也をひとたび起こしてしまえば、きっと恭也は

『大事無い・・・・・・』

そう言って無理をするに決まっている。

志摩子は考えて、布団の方を壁際に持ってきて恭也を寝かせようとした。

ゆっくり恭也の身体を横たえようとするが、不意に恭也が身をよじったのでバランスが崩れた。

「きゃっ・・・・・・!」

一緒に倒れこんでしまったが、なんとか布団に倒れこませることに成功した。

ほっとして毛布と布団を恭也にかけると、志摩子はタオルをぬらして恭也の額に乗せた。



恭也は、額にひんやりした感触がして目が覚めた。

薄く目を開けると、そこには白く綺麗な天使がいた・・・・・・。

恭也が目を開けたのを見て、天使は優しくほほえんだ。

外はいつのまにか雨は止んで、月明かりが差し込んでいた。

その月の光が、その天使をさらに美しく見せていた。

「志摩子・・・・・・大丈夫なのか?」

「はい。おかげさまで楽になりました」

「そうか・・・・・・よかった」

「よくありません・・・・・・心配したんですから」

「すまない・・・・・・」

恭也はそう言って起き上がろうとするが

「駄目です、今日は寝ていてください」

志摩子はそう言って恭也を布団へ押し戻す。

「だが志摩子・・・・・・」

「安心してください。今日は恭也さんの家に泊まりますから」

「な、何!?いや、それは・・・・・・」

「今日は私の家に誰もいませんから大丈夫ですよ」

「い、いや。そういう問題じゃなくてだな・・・・・・」

「では、どういう問題ですか?」

慌てふためく恭也があまりにおかしくて、志摩子は少し意地悪な質問をした。

「う・・・・・・志摩子、分かってて聞いてないか?」

「はい。分かってて聞いてます」

にっこりと微笑む志摩子。

「それに・・・・・・カードの裏に書いたメッセージ・・・・・・守りたいですから」

志摩子は顔を赤く染めてそう言い、恭也は布団から身体を起こした。

「そうか・・・・・・」

恭也は、自分の首にかけてあったロザリオを手にとった。

「ならば、俺も約束を守らないとな・・・・・・」

恭也は自分の首からロザリオを外して

「はい・・・・・・絶対に忘れないでくださいね」

志摩子は恭也のそばへ寄り添った。

「ああ。誓うよ」

二人は見つめ合う。互いに息がかかりそうな距離・・・・・・

「マリア様に誓いますか?」

志摩子の綺麗な瞳が恭也を映す。

「志摩子の前で言うのも何だが俺は・・・・・・神様はどうしても信じる気にはなれない。だが、俺は志摩子になら誓うことが出来る・・・・・・」

「恭也さん・・・・・・」

恭也はロザリオを、志摩子の首にかけた。

「志摩子・・・・・・俺は生涯をかけて志摩子のことを護ることを誓う」

志摩子の首に掛かったロザリオが、月明かりで蒼く光った。

「恭也さん・・・・・・私は生涯の限り恭也さんのそばにいることを誓います」

志摩子は目を閉じた。

恭也も目を閉じた。

二人の唇は重なり、恭也は志摩子を強く抱きしめた。

志摩子も恭也のことを強く抱きしめ・・・・・・恭也は志摩子を布団に横たえた。

それから、恭也と志摩子はみつめあう・・・・・・。

そのとき、ガタッという音が聞こえて二人は飛び上がった。

音のしたほうを恭也はすばやく向くと・・・・・・

「ん・・・・・・?」

そこは壁だった。

「ど・・・・・・」

志摩子が「どうしたのですか?」と言おうとしたその口を塞いで、志摩子の耳元に口を寄せた。

「志摩子・・・・・・どうやら全部聞かれてたみたいだ」

その言葉に志摩子は驚いて

「聞かれていたって・・・・・・誰にですか?」

「気配から言って・・・・・・全員いる」

「全員って・・・・・・まさか・・・・・・?」

「ああ。赤星の部屋に全員いるな。壁に耳を立てて聞いていたみたいだ・・・・・・」

恭也はがっくりと脱力してそう言った。

志摩子も力が抜けたが、恭也の腕に抱きついて

「でもいいです。これで恭也さんに悪い虫はつかないですから・・・・・・」

「まあそうだな・・・・・・」

「もっとも、一番困る人がいるんですけれどね・・・・・・」

そのとき、隣の部屋からくしゃみが聞こえた。

二人は苦笑して、布団に入った。

お互いのぬくもりを感じながら、二人は眠りに落ちていった。



異質だと思っていた自分をみんな受け入れてくれた

居場所が無いと思っていたのは自分だけ

自分という殻を破って外へ出ると、そこにみんながいた

お姉さま・友達・仲間・・・・・・そしてあなた

もう迷わない・・・・・・

忘れない・・・・・・

手放さない・・・・・・



私は、翼を手に入れた・・・・・・

羽ばたいて飛び去るためではなく

帰ってくるための翼を・・・・・・





「リリアン女学園高等部を巣立って行かれるお姉さま方・・・・・・ご卒業おめでとうございます」

送辞を、妹の二条乃梨子が読み上げる。

乃梨子は、入学したときも新入生代表として壇上に上がっていた。

クールでしっかり者・・・・・・。送辞も完璧でよどみが無い。

だけど、自分にはわかる。

乃梨子が必死に虚勢を張って、涙をこらえているのを。

だけど乃梨子は最後まで耐え切って送辞を終えた。

姉として、そして白薔薇さまとして乃梨子は誇らしかった。

そして私も答辞を読み上げる。

少し前の自分であったら、答辞を読み上げることを拒んだだろう。

でも自分は、みんなのおかげで変わった。

だから、志摩子は前を向いて答辞を読み上げた。



流れている涙を隠すことも無く・・・・・・




花道を退場していく。

保護者席に、あの人の姿は無い。

今は、海外で護衛の仕事をしているのだ。

勇吾さんと由紀さんが、私たちが通るときに手を振ってくれた。

令さまと祥子さまは、由乃と祐巳の晴れ姿を見て涙を流している。

祐巳はそれを見て涙をこらえ、由乃は恥ずかしそうになっている。

私と祐巳と由乃は、二年生になったとき互いに呼び捨てで呼ぶようになった。

言い出したのは私。友達だから、その方がいい。

そして、三年藤組に戻る。

私のお姉さまと、あの人が学んでいた教室。

それも今日限りでお別れ。

最後のホームルームが終わって、それからアルバムにお互い寄せ書きを書いた。

私も、みんなにお願いして書いてもらっていた。

すでに書くところが無くなり、ケースやニュースなどの空きスペースなどに書いている人もいる。

私は、クラスメートのアルバムに寄せ書きをして、教室を後にした。



館へ行くと、由乃と妹の菜々ちゃんが別れを惜しんでいた。

「ほ、ほら・・・・・・菜々、別に今生の別れってわけじゃないんだから・・・・・・」

「でも・・・・・・でも、お姉さまはもうここで私の入れたお茶を飲むことも・・・・・・」

「あー、ほら泣かない泣かない・・・・・・」

由乃は、菜々ちゃんに形無しだ。かつての令さまと由乃の逆ベクトルを見ているようだった。

そして扉がすごい音を立てて開くと、乃梨子が祐巳を抱えた瞳子ちゃんと一緒にやってきた。

「もうっ!お姉さま・・・・・・最後の最後まで迷惑かけないでくださいっ!」

「瞳子ちゃん・・・・・・どうかしたのかしら?」

「あー、それがですね・・・・・・」

乃梨子が疲れた顔をして話すことには

祐巳は下級生に圧倒的な人気を誇っていて、卒業式ともなると、思いのたけをぶつける生徒が多かったそうだ。

それに祐巳が断りもせずに全員の相手をしていると聞いて、瞳子ちゃんが爆発して祐巳を引っ張ってきたのだった。

「だいたいお姉さまはご自分の存在に対する意識が薄すぎますわっ!」

「はいはい、内輪もめは後でね」

乃梨子が瞳子ちゃんを落ち着かせて、場を仕切る。

そして、写真部の元エースの蔦子さんと妹で現エースの笙子ちゃんがやってきて、最後のパーティーを始めた。

私たちのときのような不可思議な芸は一代限りになったが、最後の談笑はやはり楽しいものだった。

それから各姉妹ごとに別れて二人きりの時間を過ごす。

最後に集合して、記念写真をとって解散だ。

志摩子と乃梨子は、イチョウ並木の桜の下に来ていた。

桜は蕾が出来ていて、もうしばらくすれば綺麗な花を咲かせてくれるだろう。

木の幹に二人で寄りかかる。

「志摩子さんとは、ここで出逢ったんですよね」

乃梨子が空を見ながら言った。

「そうね・・・・・・ありがとう、乃梨子のおかげで私は寂しくなかったわ」

「私もだよ・・・・・・。でも、志摩子さんがいないと私はあと1年・・・・・・」

「あら、そんなことないわ。ほら・・・・・・」

志摩子が校舎の方を向くと、一人の女の子がダッシュで走ってきた。

「お、遅くなりまして申し訳ございませんでした白薔薇さま!そしてお姉さま」

息を切らせながら、乃梨子の妹が走ってきた。

「もう、何やってるのよ・・・・・・」

乃梨子がこめかみを抑えて言った。

「ふふ、乃梨子、いいじゃない。一生懸命走ってきてくれたのだから」

「志摩子さん、甘いよ・・・・・・」

「妹をしつけるのが姉の役目。孫を可愛がるのがお婆ちゃんの役目よ」

そう言って志摩子は、乃梨子の妹を引き寄せた。

志摩子に抱き寄せられて、猫のように甘える妹に乃梨子はため息を吐いた。

「お姉さま、拗ねないでください」

不敵に笑う妹の言葉に、乃梨子の『拗ねてなーい』という怒声が響いた。

「白薔薇さま・・・・・・お聞きしたかったのですが、ロザリオって代々受け継がれるのですよね?」

「そうよ。もっとも、お姉さまからもらったロザリオは別にして新たに購入する人もいるけれど」

「それでは、白薔薇さまの今下げているロザリオは、白薔薇さまのお姉さまからのものですか?」

「ちょ、ちょっと・・・・・・」

乃梨子が、妹の突っ込んだ質問をたしなめようとするが、志摩子はそれを手で制すると

「いいのよ。せっかくだし乃梨子にも聞いて欲しいから・・・・・・」

それから志摩子が話し始めた。

2年前、黒薔薇さまと呼ばれた男子生徒がいたこと

自分の身を呈して志摩子のことを護ってくれたこと

そして・・・・・・

「このロザリオは、その人にいただいたの・・・・・・。私のこと、一生護ってくれるって」

「うわぁ〜、白薔薇さまロマンチックですね〜」

「こらっ!」

「う〜、お姉さま・・・・・・白薔薇さまのことになるとすぐ目の色変わるんだから・・・・・・」

「ふふ、そうね・・・・・・。でも、それが乃梨子の可愛いところね」

「し、志摩子さんまで・・・・・・酷いよ」

乃梨子は膨れてそっぽを向いてしまった。

「時間ね・・・・・・館へ戻りましょう」

「あ、私先に館に戻ってますね」

乃梨子の妹は、先に走って館へ行ってしまった。

「それにしても、そのお方は卒業式に来られなかったのですか?」

志摩子と手をつないだ乃梨子が聞いた。

「そうよ。今は海外で仕事をされているから戻って来れなかったみたいね」

「寂しくないですか?」

「寂しいわよ。卒業式くらい来てくれてもいいのにね」

「でも志摩子さん、その割には元気ですね」

「みんながいるから・・・・・・それに、乃梨子もいるわ」

「し、志摩子さん・・・・・・どうしてそんな恥ずかしいこと言っちゃえるのかな・・・・・・」

赤くなって照れている乃梨子の髪を撫でていると、イチョウ並木の先から誰かが歩いてきた。

スーツ姿で歩いてくるその人は、足元が少しおぼつかないようだ。

志摩子が突然固まったことに乃梨子は驚いた。

だが、志摩子の目から流れ始めた涙を見て、乃梨子は全てを察した。

「・・・・・・遅刻ですよ、恭也さん」

「すまない・・・・・・」

「それに、また無理をしたんですね」

「ちょっとだけな」

「もう・・・・・・。フィリス先生のところへは行きました?」

「いや・・・・・・」

「それでは、後で連れて行かないといけませんね」

「う・・・・・・拒否権はあるか?」

「恭也さんは私のお願いは聞いてくれないのですか?」

「その顔をしてそんなこと言うのは卑怯だ・・・・・・」

「ふふ・・・・・・私を待たせた罰です」

「悪かった・・・・・・」

「いいえ。ちゃんと帰ってきてくれましたから」

志摩子は、恭也の胸に顔をうずめた。

「志摩子・・・・・・卒業おめでとう・・・・・・それと、ただいま」

「おかえりなさい・・・・・・恭也さん」






「ふむ・・・・・・」

パチン

恭也は盆栽の剪定をしていた。

春・・・・・・。この時期は夏に向けて一番気をつけなければいけない。

慎重に枝を選び、何度も見回して要らない部分と必要な部分を見極める。

一通り剪定を終えると、今度は庭に植えた桜の木に目をやる。

盆栽として育ててきたのだがようやく育ったため、鉢から庭に植え替えたのだ。

「これからは・・・・・・植木の方も勉強しないとな」

「あんたねぇ・・・・・・これ以上枯れた趣味作らないでちょうだい」

「む・・・・・・」

桃子は、恭也を見てため息をつきながらそう言った。

志摩子が縁側で恭也を呼んでいる。



恭也と志摩子は、海鳴にある教会で結婚式を挙げた。

そこの教会は、神父とシスターが結婚しているというとても変わった教会で、

恭也も志摩子も、そこを気に入って結婚式場にすることに決めたのだ。

そのときに、神父とシスターに聞かれた質問が印象的だったのを覚えている。

『明けることの無い夜で永遠を過ごすのと、苦しくとも明けた朝に希望を見出して生きるのと・・・・・・あなた方はどちらを望みますか?』

恭也も志摩子も、朝を望む、と答えた。

その朝を求めた結果、今の自分達がある、とも。

神父とシスターは、二人の答えを聞いて恭也たちを祝福してくれたのだ。



「桜・・・・・・大きくなりましたね」

「そうだな・・・・・・。いつか立派な大木になってくれるといいな」

今はまだ小さいけれど、桜はしっかりと大地に根付いていた。

「大丈夫ですよ・・・・・・だって・・・・・・」

そのとき、家の中からオギャーという泣き声が聞こえた。

二人は縁側から腰をあげると、かつて恭也の部屋だったところへ行った。

美由希が二人の娘を抱えてあやしているのだが、一向に泣き止む気配がない。

「うぅ・・・・・・恭ちゃ〜ん・・・・・・」

「美由希・・・・・・かしてくれ」

美由希の腕から恭也の腕にわたると、泣き止んでキャッキャと恭也に手を伸ばす。

二人は娘の顔を見て優しく微笑んだ。

「恭ちゃん・・・・・・絶対親ばかになるよ・・・・・・」

「妹よ・・・・・・どうやら久々に刺激が欲しいようだな」

恭也がそう言うと、美由希は慌ててこめかみを防御して

「うう・・・・・・恭ちゃん、いくつになっても変わらない・・・・・・」

しかし、娘を抱いている今は手を出すわけにも行かず、ため息をついた。

娘が志摩子の方へ手を伸ばしたのを見て、今度は志摩子に娘を抱かせる。

志摩子が優しく包み込むように抱くと、気持ちいいのかそのまま眠りに落ちていった。

娘をベビーベッドに寝かせると、しばらく娘の顔を眺めてから縁側に戻っていった。





部屋に飾られた二人の結婚式での写真が飾られていた。

その両端に、黒と白のカードが飾られている。

黒は、バレンタインのとき志摩子が見つけたカード。

白は、ホワイトデーのときに志摩子が恭也に書いたカードだった。



黒いカードには

『俺は、志摩子のことを生涯をかけて護っていく。だから志摩子・・・・・・俺のそばにいて欲しい』

白いカードには

『私は、恭也のそばを生涯離れません・・・・・・。だから恭也・・・・・・私をずっと護ってください』




護りたい者・・・・・・それはだいじなひと

護りたい物・・・・・・それはみんなをまもるつよさ

護りたいもの・・・・・・それはこの幸せな時間



忘れられないもの・・・・・・それはだいじな人

忘れたくないもの・・・・・・それはみんなのえがお

手放したくないもの・・・・・・それはこの幸せな時間




たいせつなもの・・・・・・かけがえのないもの・・・・・・それは、この幸せ




『あなた・・・・・・お茶が入りましたよ・・・・・・』







End







あとがき

志摩子エンドです。
プロローグにもあるように、志摩子が今回のメインシナリオです。
ですので、ものすごくエンディングに力をいれて書きました。
恭也と志摩子だとすごく綺麗な絵が生まれるのではないかな、と思います。

とりあえず、これで『恭也編』は終了となります。
もしかしたら、『恭也編』2ndがあるかもしれませんが、もうしばらくお待ちください。

では、また別の未来でお会いしましょう。
ごきげんよう・・・・・・



真エンディングとも言うべき、志摩子エンド〜。
美姫 「投稿、ありがとうございました」
とりあえずは、恭也編はこれにて終了との事。
美姫 「はぁ〜、ちょっとぴり寂しいけれど、仕方ないわね」
うんうん。非常に面白い作品をありがとうございました。
美姫 「さて、次は赤星編ね」
多分ね。そっちも、楽しみにしてます。
美姫 「じゃ〜ね〜」



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